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うぶやの歴史

湖山亭(こざんてい)の由来

広い河口湖エリアですが、お泊りのお部屋から、お食事をしながら、
あるいは温泉に入りながらと各々の場所で、河口湖と富士山を一緒に満喫できる宿というのも意外と少ないものです。
「うぶや」は、すべてのお部屋はもちろん、お食事処、お風呂等から最適に富士山と河口湖が満喫できるように、建物自体が設計されています。「うぶや」からごらんいただける、
四季の河口湖と富士山をぜひ満喫してください。
「うぶや」の名前の由来は、この地に伝わる「産屋ヶ崎伝説」に由来します。

産屋ヶ崎伝説

ある日、「天津日高子番能邇々芸命(アマツヒダカコホノニニギノミコト)」は、
吾田の笠沙(アタノカササ)の岬(鹿児島県笠沙町)で美しい少女に出会いました。
名を尋ねたところ「木花之佐久夜昆売(コノハナノサクヤヒメ)」と名乗り、
父は「大山津見命(オオヤマヅミノミコト)」とこたえられました。
「邇々芸命」が、早速、その父に娘との結婚を申し入れたところ、父はたいそうお喜びになり、
たくさんの祝儀物を持たせて「邇々芸命」のもとへ嫁がせてきました。
そして二人は一夜の契りを交わしたのです。
やがて妻はめでたく懐妊。
しかし、妻がそのことを申しますと「邇々芸命」は、「御身はたった一夜で身重になったと申すか、
それは我が子ではなかろう。きっと国神の子であろう。」ときつくお疑いになったのです。
仕方なく「木花之佐久夜昆売」は、郷里の富士の裾野に帰り河口湖畔(今の産屋ヶ崎)に
八尋殿を造り、泥で目張って無戸室とし、閉じこもってしまいました。
そして、いよいよお産という時「私の妊んでいる御子がもしも他の国神の子であるならば、
無事お産をすることはできないでしょう。
もし「邇々芸命」の御子でございましたら必ず元気な御子を産む事ができましょう。」
と申されて八尋殿に火をつけられたのです。
燃え盛る火の中から元気な産声をあげて産まれたのが
「火照命(ホデリノミコト)」、「火須勢里命(ホスセリノミコト)」、「火遠里命(ホオリノミコト)」
の3子でした。
この伝説以来この地を「産屋ヶ崎」と呼ぶようになり、
当「うぶや」にも安産の神「木花之佐久夜昆売」を祀った「木花の社」があります。

うぶやの歴史

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富士河口湖温泉郷 湖山亭うぶや 〒401-0303 山梨県南都留郡富士河口湖町浅川10 TEL 0555-72-1145 FAX 0555-72-1159
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